大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和43年(ネ)552号 判決 1969年2月28日

控訴人 中村美津

被控訴人 株式会社日本スタデオ

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張ならびに証拠の関係は、次に附加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。(但し、原判決第三丁表二行目、および裏七、八行目にそれぞれ「一、七三六、八二五円」とあるのは「一、三七六、八二五円」の誤記と認められるから、さように訂正する。)

(控訴人の主張)

(一) 商法第二六六条の三にいう「取締役」中には、単に取締役としての名義だけを貸与し、その登記を経たが、株主総会の選任決議がなく、したがつて法律上取締役の地位にない者、すなわちいわゆる看板取締役は含まれないものと解すべきである。けだし表見法理は取引関係における相手方の信頼保護にその基礎をおくものであるが、株式会社においては、第三者の信頼は、株式会社の物的会社たる特質にかんがみ、もつぱら会社財産に向けられるものであつて、人的会社の場合に社員個人を信頼して取引がなされるのと異り、取締役個人の信用を引当てとして取引がなされることは、およそ法の立前とするところではない(商法が詳細な規定を設けて会社財産の充実、維持につとめているのは、そのためにほかならない。)ので、株式会社との取引にあつては、取締役個人への信頼ということはそれ自体法の保護に値しないのみならず、そもそも、商法第二六六条の三の規定は取締役の商法上の特殊の不法行為責任を定めたものであつて、右にいう取締役個人への信頼等に由来する責任関係を定めたものではないから表見法理の介在する余地はない。このことは、法律が合名会社や合資会社のような人的会社については、自称社員あるいは自称無限責任社員に社員あるいは無限責任社員と同一の責任を負わせているのに(商法第八三条、第一五九条)、株式会社についてはこの種の規定を設けていないこと、また、株式会社についても設立中においては未だ会社財産が確定充実していないので、擬似発起人に発起人と同一の責任を負わせているが(同法第一九八条、第一九三条第二項)、設立後においては、単に表見代表取締役の行為について会社が責任を負う旨を規定しているにすぎないこと(同法第二六二条)からも明らかである。

(二) 次に控訴人は事実上も使用者たる株式会社天宝堂に代つて伊藤智の事業執行を監督する立場になかつた。すなわち同会社は伊藤智が設立を企図した会社で、控訴人は同人から代表取締役としての名義の貸与を求められたにすぎず、したがつて同人を被用者として選任したことももとよりなく、同会社の経営は一切をあげて同人が行ない、控訴人は終始まつたくこれに関与するところがなかつたのであるから、控訴人は民法第七一五条第二項にいう代理監督者に当らず、伊藤の行為について同条第一項の責任を追求されるいわれはない。

理由

一、成立に争のない甲第四号証、原審証人伊藤智の証言および原審における控訴人本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によると、「株式会社天宝堂は、服飾雑貨および装粧品の卸、小売等を目的とし、昭和三九年四月八日設立登記を経た株式会社であること、同会社は、控訴人の娘万亀子の夫である伊藤智が代表取締役をしていた千葉産業株式会社の取扱商品である宝石、貴金属類につきその小売部門を開設するために、同人の発案に基づいて募集設立の方法で設立された会社で、控訴人ほか六名の者が発起人として名を連ねていたが、実質上の設立事務はもつぱら伊藤智が行ない、設立後もその経営全般を営業部長としての同人が掌理していたこと、控訴人はその設立に際して伊藤智から、迷惑をかけないから名目上代表取締役に就任してくれと頼まれてこれを承諾し、昭和三九年四月八日同会社の取締役ならびに代表取締役に就任した旨の登記を経、さらに昭和四一年一月七日、同月五日付をもつて重ねて同会社の取締役ならびに代表取締役に就任した旨の登記を経たこと、控訴人の右取締役ならびに代表取締役への就任は、同会社の創立総会、株主総会ないし取締役会の決議に基づいたものではなく、まつたく名目上のもので、控訴人は右役職就任後も同会社の業務の執行には一切関与せず、もとよりその指揮監督に当る等のこともまつたくなかつたこと」を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二、そこでまず、商法第二六六条の三にいう取締役の意味について考えてみるのに、同法条にいう「取締役」中には、単に取締役としての名義を貸与したのみで、その就任登記はあつても、創立総会ないし株主総会の選任決議のない者は含まないと解すべきこと、まさに控訴人主張のとおりであり、その理由として当裁判所は控訴人の当審における所論をそのまま採用するものである。

とすれば右法条に定める責任は、創立総会ないし株主総会の決議という正規の手続によつて選任された取締役に関するものであつて、かかる正規の選任手続を経ないため、法律上取締役の地位を取得するに由ない単なる表見取締役には及ばないものというべきである。

すなわち右法条は正規の取締役に対し特殊の不法行為上の責任を法定したものと解すべきであり、表見取締役の責任を問うためには別途の法理論によるべきであつて、右法条の関知するところではない。

いま本件についてこれをみるに、前段認定のとおり、控訴人は、株式会社天宝堂の取締役ならびに代表取締役に就任した旨の登記はあるが、創立総会、株主総会ないし取締役会の決議によつて正規に選任された者でないことが明らかであるから、法律上取締役たるの資格なきものとして、商法第二六六条の三にいう取締役に該当しないものといわなければならない。

しかしながら、控訴人は、単に名義のみとはいえ、株式会社天宝堂の取締役ならびに代表取締役としての就任登記に承諾を与えているものであるから、商法第一四条により、善意の第三者に対しては取締役ならびに代表取締役としての責任を免れ得ないものと解するのを相当とする。もつとも商法第一四条は元来登記義務者が故意または過失により不実の事項を登記した場合における登記義務者の責任を規定したものであり、本件の場合右就任登記の登記義務者は株式会社天宝堂であつて、控訴人でないことはいうまでもないが、自己に関する登記をなすことに承諾を与えて登記義務者の登記行為に加功した者については、その登記につき登記義務者と同様の責任を負担せしめるのを妥当と考える。右の場合登記義務者の不実登記行為に加功した者は商法第一四条にいう「不実ノ事項ヲ登記シタル者」のなかに含まれると解して差支えない。

そうとすれば、控訴人は、自己が法律上株式会社天宝堂の取締役ならびに代表取締役たるの資格なきことを知りつつ、すなわち故意、少くとも過失によつて、不実の取締役ならびに代表取締役の就任登記をなしたものということができるから、本件口頭弁論の全趣旨に徴し善意と認められる第三者たる被控訴人に対し、控訴人は自己が株式会社天宝堂の取締役ならびに代表取締役でないことをもつて対抗し得ないものといわなければならない。

とすると、結局において、控訴人は被控訴人に対し商法第二六六条の三にいう取締役としての責任を免れ得ないという結論になる。

三、次にそれぞれ弁論の全趣旨によつて成立を認め得る甲第一号証、同第二号証の一ないし四、各成立に争のない同第三号証の一ないし三、同第四、五号証および前記証人伊藤智の証言を総合すれば、「被控訴人は株式会社天宝堂に対し、昭和四一年四月六日から同年六月一七日までの間に、六〇秒コマーシヤルフイルム製作代等合計金一三七万六、八二五円の債権を取得したこと、伊藤智が代表取締役をしていた千葉産業株式会社は、その取扱商品たる宝石類を株式会社天宝堂をして市価より安く小売させていたのであるが、千葉産業株式会社は昭和四一年六月頃手形の不渡を出して倒産したこと、これよりさき伊藤智は回収できる確実な見込がないのに株式会社天宝堂の資金五、〇〇〇万円を千葉産業株式会社に貸付けていたが、同会社が倒産したため全額回収不能となり、そのため株式会社天宝堂も同年七月不渡手形を出して倒産し、その結果被控訴人は天宝堂に対する前記金一三七万六、八二五円の債権の取立ができなくなり、右債権相当額の損害を蒙つたこと」を認めることができ、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

四、右認定のごとく株式会社天宝堂の経営は伊藤智の専権に委ねられ、同人の放漫杜撰な業務執行の結果倒産の余儀なきにいたり、そのため債権者たる被控訴人に前記のような損害を蒙らせるにいたつたのであり、控訴人は単に取締役ならびに代表取締役としての名義を貸与したのみで、会社の業務執行には全然関与せず、また法律上も代表取締役はもとより取締役でもないから、業務執行の義務を負わないものといえるが商法第一四条により同法第二六六条の三の規定が適用される関係においては、第三者からみて、控訴人が取締役ないし代表取締役の地位にある以上、控訴人をその地位にあるものとして取扱うのほかなく、しかるときは右のような放漫杜撰な会社の経理状態が放置されていたことは、控訴人が取締役ことに代表取締役としての職務の執行を怠り、しかもなんらなすところなく、これを拱手傍観していた点に重大な過失があつた結果によるものと帰結されるから、控訴人は被控訴人に対し前記損害賠償の責任を免れ得ない。

五、如上説示の次第で控訴人は商法第二六六条の三第一項により被控訴人に対し被控訴人が蒙つた損害の賠償として金一三七万六、八二五円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和四一年八月二〇日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務あることが既に明らかであるから、爾余の判断を省略し、なお、被控訴人の請求を認容した原判決は若干当審と理由の判断を異にするが、結論において相当であるから、結局本件控訴は理由なしとしてこれを棄却すべきである。

よつて控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 古山宏 川添万夫 右田堯雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例